gadri の論理学的観点からの解説

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BPFK の gadri の説明は、論理学の知識が多少ある者にとって誤解しやすい(議論)。 このページでは、論理学の知識がある者でも BPFK の gadri を正しく理解できるように解説する(文責:guskant)。 (英語版/English version)


用語集

このページでは gadri を解説するために以下の用語を使う。

項 (sumti)
話題にする対象を指す記号、あるいはその記号を代入できる記号。

文法上、以下のものは皆 sumti である: 項、 項の入る場所を取り除く {zi'o}、 聞き手を指し命令文を作る {ko}、 どの sumti が文を真にするかを尋ねる疑問文を作る {ma}、 sumti と関係句の組({zo'e noi broda}...)、量化子と sumtiの組({no da}, {ci lo broda}, {ro broda}...)、 接続詞で繋がった sumti ({ko'a .e ko'e}...)。 ただしこの記事で「sumti」というときはロジバンで表現された論理学上の項を指す。

議論領域 (universe of discourse)
項の指示対象 (referent) になり得るものの集合。それは自ずと話題にしている世界となっている。 議論領域は文脈によって異なる。
定項 (constant)
議論領域の中の特定の対象を指す項。
変項 (variable)
項が現れる場所を表すために使われる項で、これ自体は何も指さず、他の項を代入することができる。 後述の束縛変項以外の変項を自由変項 (free variable) とも言う。 自由変項を含む文は真理値が決まらない。 このような文を開文 (open sentence) と言う。

ロジバンでは {ke'a} と {ce'u} が常に自由変項と言える。 つまり、NOI節内部や、 {ce'u} を使うNU節内部の文は、単独では開文である({ce'u} を使わないNU節内部の文は真理値を持つが、NU節の内部と外部はそれぞれ独立した議論領域を持ち、NU節内部の文の真理値は、外部の文の真理値とは無関係である:CLL9.7など参照)。 単語のロジバン定義などでは、KOhA4類のko'V/fo'Vシリーズ {ko'a, ko'e, ...} が自由変項として使われているが、これは便宜上の慣習であって、本来 KOhA2,3,4,5,6類の全ての単語およびKOhA7類の {zo'e} は定項である。 ロジバンの1つの文中に定項と、以下に述べる束縛変項とが共に現れる場合を考慮すれば、定項といっても一般には Skolem 関数 (Skolem function) であると考えられる。 詳しくは 3.2.2節 を参照。

量化 (quantify)
文中の変項に代入できる項を次々に代入していった場合に、何個の指示対象がその文を真とするのかを数え、その数を変項の直前に付けること。
量化子 (quantifier)
量化に使われる数。 {pa}, {re}, {vei ny su'i pa (ve'o)} などのほか、 {ro} 「全ての」 や {su'o} 「少なくとも1つの」なども数である。
束縛変項 (bound variable)
量化子が付いた変項。 量化されたことによって、項を自由に代入する余地は無くなっている。

ロジバンでは da, de, di が束縛変項である。 例えば {ro da zo'u da broda} と言えば、「議論領域の中の全ての da について da broda が真である」 という意味になる。 da, de, di に付く数が明示されない表現もあるが、その場合には必ず {su'o} が暗黙裡に付いていると見なされる。

変域 (domain)
変項に代入できる項の指示対象の範囲、あるいは量化のために指示対象を数える際に考慮する範囲。

ロジバンでは {da poi...} という形で束縛変項の変域を制限できる。 例えば {ro da poi ke'a broda zo'u da brode} は「議論領域の中で broda の x1 となる全ての da について da brode が真である」という意味になる。 {poi...} がなければ議論領域全体が変域となる。

恒真文 (tautology)
文脈に関係なく恒に真である文。 {ko'a du ko'a} など。
論理公理 (logical axioms)
恒真文のうちのいくつかを選んで論理公理とし、さらに推論規則を決めることによって、論理公理から全ての恒真文が証明されるようにしたもの。

複数量化

ロジバンの項について論理学的観点から理解するには、複数量化 (plural quantification) について知っておく必要がある(例えば Thomas McKay:Plural Predication, Oxford University Press, 2006 などを参照)。

複数量化は、「項が複数のものを指す場合にしか意味をなさないような述語」を使った命題を表現しやすくするために考えだされた。

人が集まって料理して食べた。

この文は、論理学的に見れば、「人が」という定項と「集まって」「料理して」「食べた」という3つの述語からなる命題である。 ただ、これらの3つの述語は、項の扱い方が互いに異なる。 この例文について、項の扱い方を詳しく見てみよう。

集団性と分配性

「人が集まって」と言うとき、「集まって」という述語の意味から考えて、「人が」という定項は複数の人を指しているはずだ。 このように、項の指すものが、複数のものの集団として述語を満たすとき、「項が集団的に (collectively) 述語を満たす」と言い、「項に集団性 (collectivity)がある」とも言う。

また、この定項が指す複数の人の各人について、「Aさんが集まって」「Bさんが集まって」といった文に分けて考えると、それぞれの文は意味をなさない。 このように、項が指す複数のもののそれぞれが、単独では述語を満たすことができないとき、「項が非分配的に (non-distributively) 述語を満たす」と言う。

一方、「人が食べた」と言うときには、「人が」という定項が複数の人を指しているにしても、「食べた」という述語は各人それぞれが満たしている。つまり、「Aさんが食べた」「Bさんが食べた」というそれぞれの文が有意味である。 このように、項を構成する個のそれぞれが単独で述語を満たすとき、「項が分配的に (distributively) 述語を満たす」と言い、「項に分配性 (distributivity)がある」とも言う。

また、「食べる」という述語が、「食べ物を口から入れて咀嚼し喉を通して胃へ送る」という行為を表すとすれば、「人」が集団的に「食べる」という述語を満たしているとは考えにくい。二人羽織で食べるにしても、手の役をしている人は、顔の役をしている人の食べるのを手伝っているだけであり、実際に食べているのは集団ではなくて個人だ。 このように、項が指す複数のものが、集団では述語を満たすことができないとき、「項が非集団的に (non-collectively) 述語を満たす」と言う。 (もっとも、「食べる」という述語を「集団的に食べる」という意味に解釈することは可能である。 例えば「体外にある食べ物を体内へ片付ける」という行為を表すとすれば、目の前にある料理を皆が食べて減らしていくことを、「集団的に食べる」と言える。)

「集団的」「分配的」という性質が両立するような述語もある。 「人が料理して」というとき、複数の人が協力して餅つきをし、カレーとバーベキューについてはそれぞれの人が分担するということも可能である。 この場合、「人が」という定項が複数の人を指し、それが集団的に餅つきをし、分配的にカレーかバーベキューを作っていると見なされる。 そう考えると、「人が」という項は「料理して」という述語を集団的かつ分配的に満たすことになる。

この例文で注目すべきところは、「人が」という定項が指すもの自体は、「集まって」「料理して」「食べた」という3つの述語に共通の対象であり、同じものを指しているという点である。述語の満たし方が集団的であるか分配的であるかということに関係なく、項が指すものは同じである。

もし「集団的」の場合に「人々の集合」という項を使うとしたら、その項が「集まって」という述語を満たすと解釈できるかもしれないが、同じ項が「食べた」を満たすことはできない。「人々の集合」という抽象的な存在が「食べた」という行為をするとは考えにくいからだ。

以下で説明する複数定項や複数変項を使うと、集合を使わずに述語論理の形式で複数のものを表すことが可能になる。

複数定項と複数変項

集合を使わずに、集団的か分配的かという区別をせずに、さらに、単数か複数かの区別さえもせずに、議論領域の中の特定の対象を指す項を複数定項 (plural constant) と呼ぶことにする。 複数定項を代入できる変項を複数変項 (plural variable) と呼ぶ。 複数変項を量化することを複数量化 (plural quantification) と呼び、その際に使われる量化子を複数量化子 (plural quantifier)、複数量化子が付いた複数変項を束縛複数変項 (bound plural variable) と呼ぶ。

me と jo'u

複数定項や複数変項を扱う関係 {me} と {jo'u} を導入する。

X me Y (me'u) X is among Y XはYなものだ

ここでXとYは複数定項か複数変項を表す。 文法上は {me Y (me'u)} という塊がselbriとなる。 {me'u} は {me} で始まる構造を閉じるための、省略可能な終端詞。

項を X, Y, Z で表すと、 {me} には以下の性質がある。

  1. X me X (反射律 reflexivity)
  2. X me Y ijebo Y me Z inaja X me Z (推移律 transitivity)
  3. X me Y ijebo Y me X ijo X du Y (同一性 identity)

性質3は、XとYの指示対象が同一であるということを {X me Y ijebo Y me X} という {me} の関係として表現できるということだ。

X jo'u Y X and Y XとY

2つの項XとYを合成し、全体で1つの複数定項か複数変項となる。

項を X, Y で表すと、 {jo'u} には以下の性質がある。

  1. X me X jo'u Y
  2. X jo'u Y du Y jo'u X
  3. X jo'u X du X

性質2は {jo'u} の前後の項の順番を逆にしても同じものを指すということを表す。 性質3は {jo'u} で自分自身を合成しても指すものは変わらないということだ。

{jo'u} を使うと、例えば以下のような表現が可能になる。

BとCが集まって料理して食べた。
by jo'u cy jmaji gi'e jukpa gi'e citka

ここで {by} {cy} はそれぞれ複数定項である。

{jukpa} (料理して)という述語は、集団的にも分配的にも解釈できるが、{by jo'u cy} という複数定項は、{jukpa} を集団的に満たすのか、分配的に満たすのかということを明示していない。「集団的に」料理するということを明示したい場合には、3.4節で説明する {joi} を使って {by joi cy} とするか、あるいは3.3節で説明する {lu'o} を使って {lu'o by jo'u cy} と言う。 一方、「分配的に」料理することを明示したい場合は3.3節で説明する {lu'a} を使って {lu'a by jo'u cy} と言う。 ただし、このようにして集団性や分配性を明示した項を、 {jmaji} や {citka} のような他の述語がそのまま共有できるとは限らない。

下の図は複数定項を頂点とする有向グラフとして、 {me} と {jo'u} を表現してみたものである。

display7.svg

複数定項の指示対象は必ずしも複数ではなく、1個の個を指すことも可能である。 個 (an individual) は以下のように定義される。

X は個である =ca'e ro'oi da poi ke'a me X zo'u X me da

ここで ro'oila xorxes が提案した試験的 cmavo で、「全ての」という意味になる複数量化子である。 {ro'oi da} によって「{da} に当てはまる全てのものについて」という束縛複数変項を表す。 この定義は「Xなものであるような {da} にあてはまる全てのものについて、Xは {da} なものだ」という条件が満たされるとき、「Xは個である」と呼ぶということを表している。 つまり {X me da} となるような {da} にあてはまるものが、X自体以外には議論領域内に存在しないことを「Xは個である」と言う。

XとYのそれぞれが個であり、 X=Yではないとき、 {X jo'u Y} を個たち (individuals) と呼ぶことにする。 X と Y のそれぞれが個または個たちであるときも、 {X jo'u Y} を個たちと呼ぶ。

複数と単数の違い

複数定項 (plural constant) のうち、単一の個 (an individual) を指すものを単数定項 (singular constant) と呼ぶ。

「X=Y かつ X が個」でない限り、X と Y のそれぞれが複数であろうと単数であろうと、 {X jo'u Y} は単数定項ではない。 なぜなら

X me X jo'u Y ijenai X jo'u Y me X

が成り立つので、 {X jo'u Y} は個の条件 {ro'oi da poi ke'a me X jo'u Y zo'u X jo'u Y me da} を満たさないからである。

束縛単数変項

束縛複数変項に対し、その束縛複数変項の変域を個だけに制限したものが、束縛単数変項 (bound singular variable) である。 束縛単数変項は、1回に2個以上の個を値として取ることはできない。 ロジバンで公式に定義されている {ro da} ({da} に当てはまる全てのものについて)や {su'o da} ({da} に当てはまるものが少なくとも1つ存在し)は束縛単数変項であり、 これらを束縛複数変項で表すと以下のようになる。

ro da ro'oi da poi ro'oi de poi de me da zo'u da me de
su'o da su'oi da poi ro'oi de poi de me da zo'u da me de

ここで su'oila xorxes が提案した試験的 cmavo で、「存在し」という意味になる複数量化子である。 {su'oi} が「少なくとも1つ」ではないことに注意しよう。 {su'oi da} によって「{da} に当てはまるものが存在し」という束縛複数変項を表す。

個でも個たちでもないもの

複数定項の指示対象は、個または個たちであるとは限らない。 複数定項の指示対象が個でも個たちでもないような議論領域を想定することは可能である。

例えば、以下の命題が真であるような議論領域を考えよう。

ro'oi da poi ke'a me ko'a ku'o su'oi de zo'u de me da ijenai da me de — 条件1

つまり、この議論領域においては、 {X me ko'a} を満たす全ての X に対して、 {Y me X} であって {X me Y} ではないという Y が必ず存在する。

定理
条件1を真とする議論領域において、 {ko'a} は個ではなく、個たちでもない。
証明
{ko'a} が個であると仮定する。 つまり、個の定義により

ro'oi da poi ke'a me ko'a zo'u ko'a me da — 仮定2

{ro'oi da} を {naku su'oi da naku} に書き換え

naku su'oi da poi ke'a me ko'a ku'o naku zo'u ko'a me da — 仮定2-1

最も内側の {naku} を命題内に移動し

naku su'oi da poi ke'a me ko'a zo'u naku ko'a me da — 仮定2-2

{su'oi da poi} を {ije} に書き換えて命題内に移動し

naku su'oi da zo'u da me ko'a ije naku ko'a me da — 仮定2-3

{ije naku を ijenai} に書き換え

naku su'oi da zo'u da me ko'a ijenai ko'a me da — 仮定2-4

一方、 {me} の性質により、

ko'a me ko'a

は常に真であるから、 {ko'a} は、条件1の {da} の変域に含まれる。 従って、条件1の {ro'oi da} を {ko'a} に置き換えても真となる。 つまり

su'oi de zo'u de me ko'a ijenai ko'a me de — 条件1-1

が成り立つ。 条件1-1と仮定2-4は矛盾する。 背理法により、仮定2は棄却される。 つまり {ko'a} は個ではない。

また、 {ko'a} を {A jo'u B} と表すことができる場合、 {jo'u} の性質により

A me ko'a
B me ko'a

であるから A と B はそれぞれ 条件1 の {da} の変域内にあり、条件1-1と同様の考察によって、 A も B も個ではない。 従って、 {ko'a} は個たちでもない。 証明終わり

このように {ko'a} が個でも個たちでもない場合、それはどんなものを指していると考えられるだろうか? 例えば物質名詞が指すものを表していると見なすことができる。 パンの切れ端もまたパンであるという世界観を持つ話し手にとって、パンは個でも個たちでもない。

(同じ証明をロジバンだけで書いた。)

複数定項に関する論理公理

複数定項 C に関して、以下の論理公理が与えられる。

ganai C broda gi su'oi da zo'u da broda


この論理公理は、「ある議論領域において、複数定項を {broda} のx1とする命題が成り立つならば、 {broda} のx1となる指示対象がその議論領域内に存在する」ということを表す。

つまり、議論領域の中に指示対象が存在しないような項を、複数定項で表すことはできない。 このように存在しないものを表す項は、「存在し」という意味の束縛複数変項 {su'oi da} を否定する形 {naku su'oi da} によって表現される。

gadri の定義

lo (LE)
selbri の前につくと、その selbri の1番めの場所 (first place, x1) に入るものを指す複数定項を形成する。 {lo} の後に量化子が来ると、その複数定項の指示対象の総数を表す。 {lo} の後に量化子が来る場合は selbri の代わりに sumti を置くこともできる。 その場合は sumti なものを指す複数定項を形成する。 つまり
lo [PA] broda (ku) zo'e noi ke'a broda [gi'e zilkancu li PA lo broda] (ku'o) what is/are broda [that is/are PA in total] broda なもの[で、全部でPA個]
lo PA sumti (ku) lo PA me sumti (me'u) (ku) what is/are among sumti that is/are PA in total sumti なもので、全部でPA個

{ku}, {ku'o}, {me'u} は省略可能な終端詞である。

{lo PA} のように gadri の後に量化子が置かれることを 内部量化 inner quantification と呼び、この量化子を 内部量化子 inner quantifier と呼ぶ。 「量化」とは言っても、論理学での量化とは異なり、変項に代入できる定項の指示対象を数えるのではなく、1つの複数定項の指示対象の構成要素を数えることを表す。 内部量化については、3.1節で詳しく議論する。

これに対して、gadri の前、あるいはもっと一般的に、 sumti の前に量化子が置かれる量化を 外部量化 outer quantification と呼び、この量化子を 外部量化子 outer quantifier と呼ぶ。 外部量化については、3.2節で説明する。

gadri によって形成される sumti は、全て {zo'e} に展開されるように定義されている。 つまり最も一般的な複数定項は単独の {zo'e} で表され、それに説明を追加したものが gadri で形成される sumti となる。

人が集まって料理して食べた。
lo prenu cu jmaji gi'e jukpa gi'e citka


{jukpa} (料理して)という述語は、集団的にも分配的にも解釈できるが、{lo prenu} という複数定項は、{jukpa} を集団的に満たすのか、分配的に満たすのかということを明示していない。「集団的に」料理するということを明示したい場合には、後述の {loi} を使って {loi prenu}と言う。 逆に、「分配的に」料理することを明示したい場合は、{ro lo prenu} のような外部量化を使うか、または {lu'a lo prenu} と言う。 ただし、このようにして集団性や分配性を明示した項を、 {jmaji} や {citka} のような他の述語が共有できるとは限らない。

le (LE)
{lo broda} で表される複数定項に対して、「話し手が思い描く特定の」という意味を明示的に追加したものが {le broda} である。 論理学上の振る舞いは {lo} と同じ。
le [PA] broda (ku) zo'e noi mi ke'a do skicu lo ka ce'u broda [gi'e zilkancu li PA lo broda] (ku'o)
le PA sumti (ku) le PA me sumti (me'u) (ku)
la (LA)
selbri または cmevla の前について、それを名前とするものを指す複数定項を形成する。 論理学上の振る舞いは {lo} と同じ。
la [PA] broda (ku) zo'e noi lu [PA] broda li'u cmene ke'a mi (ku'o)
la PA sumti (ku) zo'e noi lu PA sumti li'u cmene ke'a mi (ku'o)
loi (LE), lei (LE), lai (LA)
{lo/le/la broda} で表される複数定項に対して、述語を集団的に満たす性質を明示的に追加したものが {loi/lei/lai broda} である。
loi [PA] broda lo gunma be lo [PA] broda
lei [PA] broda lo gunma be le [PA] broda
lai [PA] broda lo gunma be la [PA] broda
loi PA sumti lo gunma be lo PA sumti
lei PA sumti lo gunma be le PA sumti
lai PA sumti lo gunma be la PA sumti

このように、 {loi/lei/lai} は {lo gunma be lo/le/la} という別の複数定項によって定義されているので、 {lo broda} や {lo PA sumti} を直接扱うことにはならず、 {lo gunma} という複数定項として扱われる。 このため {lo broda} や {lo PA sumti} が個ではない場合でも、 {loi broda} や {loi PA sumti} が、以下の条件下で {lo gunma} としての個であることは可能である。

ro'oi da poi ke'a me lo gunma be lo/le/la [PA] broda zo'u lo gunma be lo/le/la [PA] broda cu me da
ro'oi da poi ke'a me lo gunma be lo/le/la PA sumti zo'u lo gunma be lo/le/la PA sumti cu me da

lo'i (LE), le'i (LE), la'i (LA)
{lo/le/la broda} で表される複数定項を構成する個の集合。 集合であるから、その元である {lo/le/la broda} が個または個たちである場合にだけ、 {lo'i/le'i/la'i} が定義できる。 また、集合自体も、必ず個または個たちである。 個でも個たちでもないような集合は存在しない。
lo'i [PA] broda lo selcmi be lo [PA] broda
le'i [PA] broda lo selcmi be le [PA] broda
la'i [PA] broda lo selcmi be la [PA] broda
lo'i PA sumti lo selcmi be lo PA sumti
le'i PA sumti lo selcmi be le PA sumti
la'i PA sumti lo selcmi be la PA sumti

{lo'i/le'i/la'i} は {lo selcmi be lo/le/la} という別の複数変項によって定義されているので、 {lo broda} や {lo PA sumti} を直接扱うことにはならず、 {lo selcmi} という複数定項として扱われる。

集合論では、空集合は {lo selcmi be no da} と定義され、また、3.1節で述べるように {lo no broda} という表現は公式定義では無意味であるから、 {lo'i/le'i/la'i} によって空集合を表現することはできない。

jbovlaste によると、 {selcmi} は次のように定義されている。

x1 selcmi x2 =ca'e x1 se cmima ro lo me x2 me'u e no lo na me x2

この定義を受け入れるなら、 {lo'i/le'i/la'i}-sumti が指す集合は、 {lo/le/la [PA] broda} または {lo/le/la PA sumti} の指示対象だけから構成される。 これとは対照的に、 {selcmi}={se cmima} と定義するなら、その集合は {lo/le/la [PA] broda} または {lo/le/la PA sumti} の指示対象以外のものを含んでも良い。 どちらの解釈を受け入れるべきかは、公式にはまだ決まっていない。

内部量化

内部量化の BPFKによる定義は以下のようになっている。

lo [PA] broda zo'e noi ke'a broda [gi'e zilkancu li PA lo broda]
lo PA sumti lo PA me sumti

つまり内部量化は、 {zilkancu} の x3 となる {lo broda} や {lo me sumti} を単位(つまり1)として数えた場合の数を表す。 しかし、 {zilkancu} の意味が漠然としているので、 {mei} を使って以下のように定義し直す案が出された

公理1
ro'oi da su'o pa mei
定義
(D1) ko'a su'o N mei =ca'e su'oi da poi me ko'a ku'o su'oi de poi me ko'a zo'u ge da su'o N-1 mei ginai de me da
(D2) ko'a N mei =ca'e ko'a su'o N mei gi'e nai su'o N+1 mei
(D3) lo PA broda =ca'e zo'e noi ke'a PA mei gi'e broda

公理1とこれらの定義によって、

ko'a pa mei のとき、またそのときに限り、 ko'a は個である

ということが以下のようにして証明される。

証明
(D2) は
ko'a N mei = ko'a su'o N mei gi'e nai su'o N+1 mei
= ge ko'a su'o N mei -----(S1)
gi naku ko'a su'o N+1 mei -----(S2)

(S2) 部分に (D1) を適用すると

(S2) = naku su'oi da poi me ko'a ku'o su'oi de poi me ko'a zo'u
ge da su'o N mei
ginai de me da
= ro'oi da poi me ko'a ku'o ro'oi de poi me ko'a zo'u
naku ge da su'o N mei
gi naku de me da
= ro'oi da poi me ko'a ku'o ro'oi de poi me ko'a zo'u
ganai da su'o N mei
gi de me da

従って (D2) は

ko'a N mei = ge (S1) gi (S2)
= ge ko'a su'o N mei
gi ro'oi da poi me ko'a ku'o ro'oi de poi me ko'a zo'u
ganai da su'o N mei
gi de me da

これは N=1 のとき

ko'a pa mei = ge ko'a su'o pa mei
gi ro'oi da poi me ko'a ku'o ro'oi de poi me ko'a zo'u
ganai da su'o pa mei
gi de me da

であるが、公理1があるので

ko'a pa mei = ro'oi da poi me ko'a ku'o ro'oi de poi me ko'a zo'u de me da

この右辺は「{ko'a} は個である」の条件 {ro'oi da poi ke'a me ko'a zo'u ko'a me da} を含意する。またその逆も成り立つ。 証明終わり

下の図は4個のものを数え上げるしくみを有向グラフで表したものである。 この図では {X me X} のような自分に帰ってくるループを省略してある。 個数を数えるということは、 {me} によって形成される有向グラフから、数えるべき葉(個である定項)を全て含む木の形となる部分グラフを選ぶことに相当する。 例えば図のマゼンタ色の部分である。

display10.svg

内部量化の重複

{lo PA sumti} という形が定義されているので、内部量化を重ねて1つの項を作ることもできる。

lo mulno kardygri cu gunma lo vo loi paci karda トランプカード1組は13枚のカード4組で構成される
su'o da zo'u loi re lo'i ro mokca noi sepli py noi mokca ku'o da cu relcuktai 点Pから等距離にある点の集合2個は二重丸だ


内部量化の問題点

ゼロと言えない

gadri で形成される項は複数定項だから、2.2.6節の複数定項に関する論理公理によって、 {lo broda} は {su'oi da zo'u da broda} ということを含意している。つまり {lo no broda} という表現は、「存在していてその数が0」ということを含意し、意味をなさない。

このことは、複数変項の存在否定 {naku su'oi da} を公式のロジバンでは表現できないということを意味する。 複数変項の存在否定表現が必要になるのは以下のような場合だ。

lo xo prenu cu jmaji gi'e jukpa gi'e citka — no
「何人集まって料理して食べたの?」「0人」


この返答は {lo no prenu cu jmaji gi'e jukpa gi'e citka} の簡略形である。

この命題は、 {lo no prenu} が selbri {jmaji} を集団的かつ (je) 非分配的に、 {jukpa} を集団的または (ja) 分配的に、 {citka} を非集団的かつ (je) 分配的に満たしていることを表す。 非分配的に満たすべき述語 {jmaji} を含むので、 束縛単数変項の存在否定 {naku su'o da}={no da} に置き換えることはできない。 また、非集団的に満たすべき述語 {citka} を含むので、この {lo} を {loi}={lo gunma be lo} に置き換えることもできない。

このような命題では、 {lo no broda} という表現に対して、複数変項の存在否定という意味を与えることが必要になる。 そこで {lo PA broda} の定義の PA=0 の場合に対して、以下のような定義を提案する。

{lo no broda} の非公式な定議案
lo no broda =ca'e naku su'oi da poi ke'a broda

({naku lo broda} とする定議案も良さそうだが、そうすると複数定項を含む命題全体の否定となり、量化が含意されなくなるので、上のように提案することにした。)

物質名詞のようなものを量化できない

3.1節の公理1によって、個でも個たちでもないようなものは {(su'o) N mei} や {lo N broda} という表現から排除される。

それなら {piPA} という量化を使えるかというと、やはり個でも個たちでもないようなものには使えない。 piPA は現状では外部量化についてしか定義されていない

piPA sumti lo piPA si'e be pa me sumti

このように、 {piPA} による外部量化の実体は {lo piPA si'e} という複数定項なので、これ自体は束縛単数変項ではない。 しかし {piPA si'e} の x2 として {pa me sumti} が付いていて、これには PA broda の定義

PA broda PA da poi broda

が適用されるため、{me sumti} の x1 に当てはまるものとして個がある場合にしか成立しない。 つまり、個でも個たちでもないようなものは、 {piPA} という外部量化表現からも排除される。

{piPA} を内部量化でも定義するという案もあり得る。 その場合は、外部量化の {piPA} の定義の形に合わせて、以下のような形にするのが理想的だ。

内部量化の {piPA} の非公式な定議案
lo piPA broda =ca'e zo'e noi ke'a piPA si'e be lo pa broda

そうすると、個でも個たちでもないようなものは依然として、 {lo pa broda} によって表現できない限り、内部量化の {piPA} 表現からも排除される。

ほかの望みの綱として、 {PA si'e} の表現を、個でも個たちでもないようなものの数量表現に利用するという案がある。 しかし、現在の {si'e} のBPFK定義は {pagbu} に依存している。

x1 number si'e x2 x1 pagbu x2 gi'e klani li number lo se gradu be x2

{pagbu} の x1 が x2 よりも大きくはならないと解釈すれば(そしてそれは標準的な解釈であるが)、 {si'e} を使ってものを数え上げる際に、単位の変更を余儀なくされるので、非常に使いにくい。 {PA si'e} の PA が1よりも大きくなれるように {si'e} の定義を変えれば、個でも個たちでもないようなものの数量表現一般に {si'e} を使うことが可能になる。

あるいは、3.1節の公理1を使わないことにすれば、 定義 (D1) (D2) (D3) を個でも個たちでもないようなものに適用可能である。 この場合、話し手は複数定項をいくつか選んで、それら {ko'a, ko'e, ...} について、 {[ko'a/ko'e/...] su'o pa mei} と決めておけば良い。 この際に、 {pa mei} となる複数定項の指示対象が互いに重複することのないように、注意深く選ぶ必要がある。 こうしておくと、それらの {ko'a, ko'e, ...} に関しては、 (D2) から

ganai [ko'a/ko'e/...] pa mei
gi ro'oi de poi me [ko'a/ko'e/...] zo'u de me [ko'a/ko'e/...]

と言えるだけであって、{pa mei} の x1 であるものが個である必要はない。

3.1節の公理1を使わずに定義 (D1) (D2) (D3) を利用する場合は、 (D1) の {de} の条件として {gi'e su'o pa mei} を追加しておく必要がある(公理1を使う場合は、 {de} の変域にある指示対象がこの条件を自動的に満たしている)。

公理1を使わない場合の非公式な定義案
(D1') ko'a su'o N mei =ca'e su'oi da poi me ko'a ku'o su'oi de poi me ko'a gi'e su'o pa mei zo'u ge da su'o N-1 mei ginai de me da
(D2) ko'a N mei =ca'e ko'a su'o N mei gi'e nai su'o N+1 mei
(D3) lo PA broda =ca'e zo'e noi ke'a PA mei gi'e broda

これによって個でも個たちでもないようなものを内部量化することが可能になる。 さらに、これに対して上記の「内部量化の {piPA} の非公式な定議案」も適用できるようになる。

下の図は個でも個たちでもないようなものを数え上げるしくみを有向グラフで表したものである。 この図では {X me X} のような自分に帰ってくるループを省略してある。 無限個の頂点(複数定項)のうち、話し手が {su'o pa mei} として選んだ頂点をピンク色で表している。 これらを数え上げるということは、 {me} によって関係付けられる有向グラフから、木の形となる部分グラフを選ぶことに相当する。 例えば図の青色の部分である。

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外部量化

外部量化の BPFKによる定義は以下のようになっている。

PA sumti PA da poi ke'a me sumti
PA broda PA da poi broda
piPA sumti lo piPA si'e be pa me sumti

{piPA} 以外の外部量化は {PA da} であり、これは公式には束縛単数変項である。 従ってこれらの項が分配的に述語を満たすことに注意しなければならない。 例えば {jmaji} (集まる)の x1 として {ci lo prenu} という項を使うのは無意味である。 3人のそれぞれが「集まる」という述語を満たしているわけではないからだ。

ただし PA として非公式の複数量化子 {ro'oi} や {su'oi} などを使えば、束縛複数変項にすることは可能だ。 例えば

su'oi prenu cu jmaji 集まる人が存在する

この命題は、複数定項を使った命題

lo prenu cu jmaji 人が集まる

から2.2.6節の論理公理によって含意される文に等しい。

{PA lo broda} と {PA broda} は、束縛単数変項に当てはまる指示対象を数えるときの変域が異なる。 外部量化の定義から以下のことが言える。

PA lo broda PA da poi ke'a me lo broda 議論領域の中の lo broda という複数定項の指示対象が束縛単数変項の変域であり、そのうちのPA個
PA broda PA da poi ke'a broda 議論領域の中の全ての broda なものが束縛単数変項の変域であり、そのうちのPA個
例1
ro jmive ba morsi 生きものは皆死ぬ
例2
ro lo prenu ti klama 全員ここに来る

例1では議論領域内の全ての {jmive} なものについて言っている。 例2の議論領域内には、この文の複数定項 {lo prenu} の指示対象以外にも {prenu} なものがあると考えて構わない。

{piPA} による外部量化は、{lo piPA si'e} という複数定項を表す。 ただし {piPA si'e} の x2 として {pa me sumti} という束縛単数変項を含んでいる。 この定義に出てくる {pi} は「1より大きくない」ということを表すものであり、実際の表現では {pi} の代わりに {fi'u} などを用いても構わない。

外部量化と内部量化の組み合わせ

内部量化と外部量化の定義から、以下のことが言える。

M lo [N] broda [N個の] lo broda のうちの M個 (それらが分配的に述語を満たす)
M loi [N] broda [N個の] lo broda からなる lo gunma M個 (それらが分配的に述語を満たす)
M lo'i [N] broda [N個の] lo broda からなる lo selcmi M個 (それらが分配的に述語を満たす)
pi M lo [N] broda [N個の] lo broda のうちの 1個の一部分で、その量は pi M si'e
pi M loi [N] broda [N個の] lo broda からなる lo gunma 1個 の一部分で、その量は pi M si'e
pi M lo'i [N] broda [N個の] lo broda からなる lo selcmi 1個 の一部分(部分集合)で、その量は pi M si'e

これらのうちの {M lo [N] broda} や {pi M loi [N] broda} を使って、複数のものの一部を表現することができる。

例1
re lo [ci] mlatu mi viska [3匹の]猫のうちの2匹がこっちを見ている
例2
re fi'u ci loi [vei ci pi'i ny (ve'o)] mlatu mi viska [3n匹の]猫のうちの3分の2がこっちを見ている


例1の {re lo [ci] mlatu} は {lo [ci] mlatu} の指示対象である(3匹の)猫のうちの2匹を指す。 内部量化子の {ci} が無い場合は {lo mlatu} の指示対象が何匹の猫であるか不明だが、それでもとにかく {re lo mlatu} はそれらの猫のうちの2匹を指す。

例2では {loi} が使われているので、 その指示対象の実体は {lo gunma} である。 例2を {loi} と {piPA sumti} の定義に従って展開すれば

例2-1
lo re fi'u ci si'e be pa me lo gunma be lo [vei ci pi'i ny (ve'o)] mlatu mi viska

つまり {re fi'u ci loi...} は {pa me lo gunma...} という「個」のうちの3分の2を指す。 その {lo gunma} は {vei ci pi'i ny (ve'o)} 匹の猫からなる。 内部量化子が無い場合は {loi mlatu} が何匹の猫からなる {lo gunma} を指すのか不明だが、それでもとにかく {re fi'u ci loi mlatu} はその {lo gunma} の3分の2を指す。 ただし

re fi'u ci loi mlatu mi viska

という文は、この {loi mlatu} の構成要素である猫の個体数が3の倍数でなければ意味をなさない。 猫の切れ端が {viska} という述語を満たすようなことは考えにくいからだ。 またBPFKの解釈では非集団的に述語を満たす複数定項を {loi} で表すことはできないから、「猫が非集団的にこっちを見ている」ということを言いたい場合は {loi} を使わない表現にするか、あるいは3.3節に説明する {lu'a} を使って

lu'a re fi'u ci loi mlatu mi viska

とする。

1つの文の中の束縛変項と定項

1つのロジバン文の中に束縛変項と定項が両方現れる場合、定項の係り範囲が全ての束縛変項の外側にあるとは限らない。つまり、「定項」とは言っても、束縛変項の変域内の全ての指示対象に対して共通のものを指す定項なのか、それとも、束縛変項の変域内の指示対象のそれぞれに対して別々のものを指す定項なのか、一般には決まっていない。 それは以下のような理由による(関連議論)。

文中の terbri のうちのいくつかの項が省略されている場合、その項の場所には {zo'e} が省略されていると見なされる(CLL 7.7)。 例えば

ro mlatu cu jbena
全ての猫は生まれた/生まれる。

という文は、標準的な観点から、真であると見なして良さそうな文である。 この文は、 {jbena} の terbri の定義に従って、 3つの項が省略されているものと見なされ、それらを明示した

ro mlatu cu jbena zo'e zo'e zo'e

と同じ意味の文である。 この議論領域に含まれる全ての猫が、共通の親から同時に同じ場所で生まれたのでなければ、これらの {zo'e} が {ro mlatu} の変域内の全ての指示対象に共通の定項であると考えることはできない。 {ro mlatu cu jbena} のような表現が意図した通りの意味で使えるようにするために、一般には、ロジバンの「定項」は束縛変項の変域の指示対象によって異なる対象を指示していても良い。

この意味での「定項」は、述語論理の Skolem normal form に現れる Skolem function に対応する。 以下の表は、述語論理と、本稿で依拠している xorlo、 現在は廃止された暗黙の量化子 (implicit quantifier, CLL 第6章) の解釈を比較し、真理値の一致する表現を縦に並べたものである。 大文字の Y は複数変項を表す。 zo'u+xorlo の欄は非公式の解釈案であり、 Prenex normal の灰色の部分は試験的 cmavo である {su'oi} を使った非公式の表現である。 (クリックで拡大)

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lu'a, lu'o, lu'i と gadri の関係

BPFK Section: Indirect Referers ではLAhE類の {lu'a}, {lu'o}, {lu'i} が以下のように定義されている。

lu'a sumti lo me sumti lo cmima be sumti [noi selcmi]
lu'o sumti loi me sumti
lu'i sumti lo'i me sumti

しかし同ページに書かれた英語の説明から察すれば、この {lu'a} の定義は不足であり、 {lu'o} の定義はいくらか問題を含む。

{lu'a} は、{lo selcmi} であるような項からは {selcmi} の x2 を抽出し、 {lo gunma} であるような項からは {gunma} の x2 を抽出する。 さらに {lu'a} は、項が分配的かつ非集団的に述語を満たすことを明示する。 一方 {lo} の定義によれば、 {lo me sumti} という表現は「分配的かつ非集団的に」ということを含意しない。

また {lu'o} は非分配的かつ集団的に述語を満たすことを明示する。 一方 {loi} の定義によれば、 {loi me sumti} は集団的に述語を満たす項を構成するが、それが非分配的に述語を満たすかどうかまでは明言していない。 整合性を追求するなら、 {loi} の定義に「非分配的に述語を満たす」ということを追記するのが良いだろう。

以上の考えに基づいて、以下のような定義を提案する。

{lu'a} の非公式な定議案
lu'a sumti lo cmima be sumti noi selcmi ku onai lo se gunma be sumti noi gunma ku onai lo me sumti ku
vu'o noi su'o da zo'u da me ke'a gi'e no'a

ここに現れる {vu'o} 以降の {noi} 節では、 {lu'a sumti} の指示対象が分配的にこの項を含む文を満たすことを説明している。

jo'u, joi, ce と gadri の関係

BPFK によれば、 JOI 類の {jo'u}, {joi}, {ce} は以下のように定義される。

X jo'u Y lo suzmei noi X .e Y .e no drata be X .e Y cu me ke'a
X joi Y lo gunma be X .e Y .e no drata be X .e Y
X ce Y lo se cmima be X .e Y .e no drata be X .e Y

これらはそれぞれ gadri の {lo}, {loi}, {lo'i} に対応し、2つの項を接続して、 {jo'u} は複数定項、 {joi} は非分配的に述語を満たす複数定項、 {ce} はそれらの項を元とする集合を指す複数定項を形成する。 {joi} の英語定義には "non-distributive" (非分配的)と明言されているので、このことも「{loi} の定義に「非分配的に述語を満たす」ということを追記するのが良いだろう」という3.3節の提案を補強する。

XY が束縛変項であっても、これらの接続によって形成される項は定項となる。 この場合、形成される定項が XY に依存して異なるか、 XY の変域内の全ての指示対象に共通する定項なのかは決まっていない。 詳しくは 3.2.2節 を参照。

これらは JOI 類の cmavo だから、 sumti 以外の接続にも使えるが、その場合の意味は公式には定義されていない。 {JOI gi X gi Y} という形で前置接続に使うこともできる。 sumti の前置接続に使う場合は、上記の後置接続の定義と同じ定項を形成する。

覚書

以下の話は解説者 guskant の覚書であり、 gadri の理解のために全く重要ではない。

存在について

Positive impact: Some usages that make little sense with {lo}={su'o} become validated.


{lo}={su'o} ではなくなったが、 {lo broda} が複数定項であることと、2.2.6節の複数定項に関する論理公理によって、 {lo broda cu brode} という命題は、 {su'oi da brode} という命題を暗黙的に含意している。

claxu の x2

le cmana lo cidja ba claxu
山には食べ物がないだろう
lapoi pelxu ku'o trajynobli


{lo cidja} を展開すると

le cmana zo'e noi ke'a cidja ku'o ba claxu

{noi} の定義により

le cmana zo'e to ri xi rau cidja toi ba claxu

{to} {toi} 内は挿入句だから、 bridi 本体は

le cmana zo'e ba claxu

{zo'e} は複数定項である。 2.2.6節の複数定項に関する論理公理により、この命題は

su'oi da zo'u le cmana da ba claxu

を含意する。つまり「この山に欠く何か」の指示対象が議論領域内に存在する。 この表現の奇妙さは、 {claxu} の x2 に、非存在を表すような意味合いがあるかのように見えることから生じる。 辻褄が合うように解釈するならば、 {claxu} 自体は x2 の指示対象の所在が x1 に位置していないということを表しているだけで、議論領域内の存在については何も主張しないと考えれば良い。

zo'e は複数定項である

仮に、 {zo'e} が自由変項・束縛複数変項・複数定項のどれにでもなれるという解釈をすれば、論理学的な観点から合理的である。 しかしこの考えは、この議論の中で、明確に否定された。 公式解釈による {zo'e} は常に複数定項であることが明らかになった。 以下にこれらの考えを比較検討し、 {zo'e} が複数定項であるという公式解釈から生じる問題点の解消を試みる。

zo'e が束縛複数変項になることが許されると仮定した場合

「文脈のない {zo'e} は自由変項であり、文脈に応じて議論領域が決まり、議論領域に応じて、 {zo'e} に何らかの定項が代入されているか、複数量化子によって量化されていると見なされる」という解釈をすると仮定した場合の、利点と欠点を挙げる。

利点

この仮定の下では、 {lo PA broda} における PA=0 の場合を、3.1.2.1節の定議案のように特異点扱いする必要は無かった。 文脈のない {lo PA broda} が自由変項であれば、文脈が与えられたときに、 PA>0 のときは複数定項が代入されるか、 {su'oi da} などの複数量化子によって束縛され、 PA=0 のときには {naku su'oi da} によって束縛されると解釈すれば良かったからである。

この解釈は、 PA=0 の時のみならず、 PA>0 についても、より自然言語に近い解釈を可能にする。例えば

lo ci xanto cu zilkancu li ci lo xanto

この最後に出てくる方の {lo xanto} は数えの単位であるから、特定のものを指さずに(つまり定項と見なさずに)、むしろ複数量化によって「1」と量化されている束縛複数変項と解釈するほうが自然である。 束縛複数変項と解釈する場合には、他の量化項や {naku} との相対的な出現順序を考慮しなければならないが、項である以上、冠頭に出すこともできるので、冠頭でその順序を明記することも可能である。 さらに、この考え方は、文脈のない文の真理値が一般には不定であるという自然言語の性質を体現してもいる。 「{zo'e} が本質的には自由変項であり、文脈によって束縛されたり定項が代入されたりしている」と仮定しておけば、論理性も解釈上の構造美も損なわずに、ロジバン文の自然な解釈が可能だった。

欠点

{zo'e} が文脈によって自由変項だったり、束縛複数変項だったり、複数定項だったりするので、単一のbridiからは、その中の項がどのような項であるかを判断できず、文の真理値を判断することができない。 ただし、このように、文の真理値が一般には文脈に依存するという側面は、あらゆる自然言語が共有する性質である。 また、 {zo'e} が複数定項だけを表すという現行解釈を取るにしても、「何らかの議論領域が与えられている」ということが判断出来るだけで、文脈がわからなければ、どんな議論領域かを判断できないのだから、文脈無しでは文の真理値を判断できないという問題が解消されるわけではない。

zo'e が複数定項であることから生じる問題点と、その解決方法

公式解釈による {zo'e} は複数定項であるから、以下のような問題点が生じる。

「存在しない」という複数量化が表現できない

{lo no broda} の合理的な解釈は、公式にはロジバンから追放される。 つまり、複数量化では当然扱える、複数変項についての「{da} に当てはまるものが存在しない」 ({naku su'oi da}) に相当する表現が、ロジバンでは公式には扱えない。 {lo no broda} という表現をしたい場合には、3.1.2.1節のように、非公式の解釈をする必要がある。

特定のものを指さない束縛複数変項を表現できない

{lo PA broda} が、文脈によっては束縛複数変項であるという解釈が不可能になったので、 数えの単位のような、特定のものを指さないはずの項も、何らかの定項であると解釈しなければいけなくなった。 例えば、

lo ci xanto cu zilkancu li ci lo xanto

のように、数えの単位としての {lo xanto} を命題の中で使うために、 メートル原器のような、なんらかの「ゾウ原器」を議論領域の中に想定するという、いささか不自然かもしれない解釈が強いられる(現代ではもはやメートル原器さえ用いられていないにも関わらず)。

素粒子を lo で表すことができない

{lo broda} が複数定項として解釈される限り、以下のロジバン文は無意味である:

lo guska'u cu gau jmaji sepi'o lo lenjo gi'e pagre lo fenra
光子がレンズで集められ、スリットを通り抜ける


なぜなら実際のところ、光子は個であり、個数を数えることはできるのだが、この光子とあの光子といった区別をすることはできない、つまり、「特定の」光子を指すことは不可能だからだ。 光子などの素粒子を表す項には、量化表現こそが相応しい。ところがロジバンには公式には複数量化子が無いので、上記のように selbri を集団的にも分配的にも満たすような項として、量化を明示することはできない。 {lo broda} が複数定項であると宣言されたので、 {lo guska'u} を束縛複数変項として解釈する余地も残されていない。 解決策としては、 la xorxes が提案した非公式の複数量化子 {su'oi} を使うしかない。

su'oi da poi ke'a guska'u cu gau jmaji sepi'o lo lenjo gi'e pagre lo fenra


一般論をどう解釈するか

BPFK の gadri のページの例文にも出ている、

lo pa pixra cu se vamji lo ki'o valsi
1枚の写真は1000語に値する


といった一般論においても、 {lo pa pixra} や {lo ki'o valsi} は何か特定のものを指していると解釈される。 議論領域の中に、一般論に登場する sumti 用の、何らかの指示対象を用意しておかなければならない。

直感的には {lo} ではなく {lo'e} を使えば良いが、現状では {lo'e} と {lo} の関係について結論が出ていないので、 {lo'e} について論理学的な観点から説明することはまだできない。

あるいは、一般論の表現において指示対象への明言を避ける方法として、命題全体を NU類の中に入れるという方法が考えられる。 NU類内の命題の真理値は、 NU類外の命題の真理値に影響を及ぼさないからである(指示的に不透明 referentially opaque; CLL9.7などと関連する)。 言い換えれば、NU類内部の命題の議論領域はNU類外部の命題の議論領域と異なる。 この方法を採用して、上記のことわざを表すなら、例えば {si'o} を使って

si'o lo pa pixra cu se vamji lo ki'o valsi
「1枚の写真は1000語に値する」という概念だ


という形にすれば良い。 {si'o} の x1 は暗黙の {zo'e} であり、複数定項として議論領域の中に指示対象を持つ。 一般論の解釈として、 {si'o} の x1 に入る指示対象を想定することは、 {lo pa pixra} や {lo ki'o valsi} の指示対象を想定するよりも自然である。 (The Complete Lojban Language では、このように terbri を明言しない bridi を「観察文」と呼んでいるが、ここで述べた用法では、この発話が特定の外部刺激 (stimulus) によって常に起こるものとは言えないから、観察文とする解釈は妥当ではない。)

自由変項をどう表現するか

慣習として、単語の定義などではKOhA4類の ko'V/fo'V シリーズが自由変項として使われている。 ただし本来これらは複数定項である。 この慣習に従わずに自由変項を使った文(開文)を表現したい場合は、 {ke'a} か {ce'u} を使うのが妥当だ。 なぜなら、これらを terbri とする bridi の真理値は決まらないからだ。 {ke'a} が2回以上現れる bridi では、 {ke'a} が同一の項を表すと見なされる:

da poi ke'a gy xlura ke'a cu panci lo ka'e se citka
lo nu binxo

一方、 {ce'u} が2回以上現れる bridi では、 {ce'u} が同一の項を表すとは限らない:

lo mamta jo'u lo mensi cu simxu lo ka ce'u cisma fa'a ce'u
lo nu binxo

この性質を考慮すると、全く文脈のない状況で自由変項を使った開文を表現するには、「同一の項」という制限がある {ke'a} よりも、制限のない {ce'u} の方が使いやすい。

ce'u ce'u citka
「A は B を食べる」 (開文、真理値不定)